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学校給食の裏面史

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.14」(前編)     

                   鈴木猛夫

 アメリカ小麦戦略は昭和31年、アメリカの資金で製造、運行されたキッチンカー(野外料理講習車)が最初の大きな事業であった。アメリカのPL480法案(余剰農産物処理法、前出)によってアメリカの余剰農産物を受け入れた日本はそれを国内で販売し、その売上代金を国庫に積み立て、そのうちから一定額をアメリカの取り分として渡し、アメリカはその資金を日本の市場開拓の為に使った。
  アメリカはこの資金で小麦、大豆、トウモロコシなどのアメリカ農産物を日本に売り込む為いくつかの作戦を展開した。これがアメリカ小麦戦略だが、それに続き、学校給食への関与、パン職人養成など数百の事業を通じて日本の栄養改善運動の為に資金を提供し、戦後の日本人の食生活をパンと牛乳、肉類、卵、油料理、乳製品という欧米型に転換させるのに成功した。
  これまでの連載の経緯をみると、アメリカは余剰農産物を日本に売り込む為に日本人の食生活を根底からひっくり返すというひどいことをした、という受け止め方が多い。アメリカの謀略であったという人も少なくない。
  しかし冷静に考えてもらいたいことが一つある。アメリカ小麦戦略で実行された全ての事業は日本側と入念な協議を重ね、日本側が納得、了承した上で、契約書を交わしそれに基づいて行なわれたのである。例えば昭和31~32年、日本側はキッチンカーの製造、運行に要する第一期分の費用6840万円をアメリカから受け取り、日本側が製造、運行するという契約を交わしている。同じく3882万円で製パン技術者講習会事業、5735万円で学校給食の農村普及拡大事業、2244万円で生活改良普及員研修事業、7330万円で粉食奨励の広告宣伝事業を請け負っている。これらの栄養改善運動の為の資金は全てアメリカ側が出したものであるが、いずれも契約にのっとって行なわれた事業である。この事業推進のために急遽(財)日本食生活協会が設立され、アメリカ側はオレゴン小麦栽培者連盟という民間同士で契約を交わすという形になった。つまり日米とも政府は表に出なかったのである。しかしこのお膳立てをしたのは日本の厚生省、資金を実質的に出したのはアメリカ農務省であり、日米双方とも政府が深くかかわった事業であった。   

 
  (おむすび通信No.14より抜粋) 
   

 

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.14」(後編)     

                    鈴木猛夫
 

 アメリカがこの契約に意図的に違反したことをしたのなら確かにアメリカは非難されるべきだが、実際は契約に基づいて全て契約どおりに行動している。だから法的にはアメリカが非難されるべきところはない。栄養改善運動の資金の出所はアメリカだということはほとんど国民には知らされなかったものの政府、栄養関係者は全て承知の上で調印したのだ。
  アメリカが日本人の食生活を変えようとしたことは事実であるし、余剰農産物を有効に使ってうまく日本市場を獲得したのも事実である。しかしどういう意図で行なおうとちゃんと契約を結んでお互いが納得した上で行なわれた行為である以上、その一方だけが非難されるのはおかしい。日本はアメリカにだまされたという人もいるが、だまされるような契約を結んだ日本側に非があるのだ。つまりだまされた方が悪いのであって法的にはアメリカは何の落ち度もない。ただ法律論とは別にアメリカの巧妙な戦略があって日本人の食生活が大きく変化していったのだということだけは充分認識しておく必要がある。
  この戦略によって日本人の戦後の食生活がおかしくなったとしたらその責任は日本側にある。当時の政府も栄養関係者もこのアメリカからの資金提供を歓迎した。そこに大きな問題があるのだ。日本人の食生活を欧米型にすることが健康に寄与すると思い込んでこの作戦を支持したのである。良かれと思ってやったことが今になってとんでもない事態になったのだが、そのことの反省なしに一方的にアメリカのみを非難すべきではない。
 戦後の栄養改善運動の為にアメリカから受け取った膨大な資金の出所については今も昔もタブーになっていて、栄養学校でも教えられていない。当時の関係者はその全体像を明らかにして反省すべきであろう。  

 
  (おむすび通信No.14より抜粋) 

 

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