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  学校給食は必ず変えられる

保育園栄養士の365歩のマーチ

ペンネーム:信州人

 

第1回 「私のしごと」

 「パンはおやつ」「日本人はおまんまをたんと食べなきゃだめだ」大正生まれの祖父がよく言っていた言葉です。小さいころはその言葉がどんな意味を持つのかなど知る由もなく朝ごはんにパンを食べてくる友人を「おしゃれだなぁ」とうらやましく感じながら少女時代を過ごしていました。そして祖父は真っ黒に日焼けしながら毎日農業に汗を流し、3時のおやつに大きなおにぎりを頬張る人でした。

祖父に限らず私の住む地域のお年寄りはとても働き者です。80歳を過ぎても体が動く限り畑仕事に精をだします。私の住む長野県は高齢者の就業率がとても高い県なのだそうです。そして、健康長寿で有名な県でもあります。私は、長野県の健康長寿の大きな要因はいくつになっても農業に携わり体を動かし、生きがいを持って暮らしていること、そして地域の風土に根ざした郷土食が食生活の中でまだまだ残っていること、この二つだと思っています。

私の仕事は町役場の栄養士です。周囲を山に囲まれ電車が来るのは1~2時間に1本といった小さな町で栄養士は私一人。妊婦さんから乳幼児、保育園、成人、高齢者とすべてのライフステージの町民に関わらせてもらっています。ですので、栄養士としてとてもありがたいことにあらゆる年代の食生活に触れる機会に恵まれています。60代以上の方が集まる場には自然と手作りの漬物や煮物が並びます。そして、そんな方々の食卓には季節の野菜や山菜を使ったおかずが上がり、ごはんを片手に旬の味覚を味わうのが常です。一方、乳幼児や幼児の健診の問診票を覗くと「パン、牛乳」「パン、ヨーグルト」「パン、野菜スープ」こんな朝ごはんが並びます。保育園の子どもたちに朝ごはんを聞いても「ジャムパン」「クリームパン」と菓子パンを食べてくる子がとても多くいます。調理の必要がなく、おかずもいらず、お皿を使う必要もなく、片付けも楽で、子どもが喜んで食べてくれるパン、菓子パンは、今の若い年代の食卓には欠かせないものになっているようです。こんな町民の食生活を見ると健康長寿長野県は今のお年寄りに支えられているのだと気づかされ、近い将来その崩壊の時がきてしまうことを栄養士として予想せずにはいられません。

実際今日本の医療費は大変なことになっています。生活習慣病と呼ばれる病気にかかる人が増え糖尿病患者数はこの50年間で20倍に増加、結果として医療費が年々膨らみ、おかげでもうすぐ消費税が10%になってしまうとか。私たち行政栄養士はこの状態をなんとかしなさいと厚生労働省からお尻を叩かれながら日々仕事をしています。そもそも、日本の医療費がこんな状態になってしまったのは、戦後「食の欧米化」と呼ばれる日本人の食習慣の急激な変化があったからです。先ほど紹介した食生活を営む当町の60代以上のお年寄りは食が欧米化する前に味覚や食習慣が形成された年代に生まれた人たちです。「つ」のつく年齢までの食習慣が一生の食習慣を決めると言われますが、今の60代と50代の食習慣には一線を画すものがあると地域の食を見る中で感じています。町民の食習慣をライフステージに沿って見る事で、小さいころの食事がいかに大切であるかを改めて感じます。そして、町民の疾病予防を担う行政栄養士として食習慣が完成される前の年代の食事に力を入れることが最も有効な施策であると考え、生活習慣病予防、子ども達の健全な心身の発達、環境問題、食料自給率、様々な食の問題を踏まえたうえで日本型食生活の保育園給食に取り組んでいるところです。その様子は第2回でお話しようと思います。(「『おむすび通信 86号』)

 

 

 

第2回 「人生はワンツーパンチ」

 

 「栄養士さんの給食は子どもの食事じゃない、病院食だね」 私が保育園でごはん、焼き魚、お浸し、お味噌汁という組み合わせの給食を出したときに保育士さんから言われた言葉です。自分にとって日本人の普通の食事と思っていただけにショックでした。

 私が行政栄養士になり保育園給食に携わり始めたとき町の保健師さんや食の会のお母さんたちに言われたのは「保育園のおやつがあまりにもひどいからどうにかして」という事でした。でも、いざ蓋を開けてみるとひどいのはおやつだけではありませんでした。主菜に冷凍食品など焼くだけ揚げるだけの出来合いの食品が度々登場し、既製品のハンバーグや春巻き、餃子、グラタンなどを子どもたちは食べています。民間上がりの私にとっては「税金でお給料もらって冷凍食品はないでしょ」というのが感想でした。ここから私の給食の改革が始まります。でも、正直子どもの食事に対する知識に栄養士として自信がなかったのも事実です。最初は他の人の真似をしながら、恐る恐る、本当に悩みながらすすめていきました。その頃の献立は今見ると何も分かっていない勉強不足の栄養士の献立そのものです。暗闇から抜け出すためにまず、近隣の市町村の栄養士さんにお願いして現場や献立を見せてもらいに行きました。それから、子どもの食についての本をいくつも読みました。そして読んだ本の中で自分の中にストンと落ちて目の前を明るくしてくれた先生の講演会を聞きに行きました。それが幕内先生でした。幕内先生に出会ってからは保育園の栄養士としての自分の信念をもつことができました。私の献立が気に入らない保育士さんに「もっと子どもの喜ぶものを出してよ!」と子ども達が給食を食べている間中怒鳴られても『子どもの喜ぶものを出すのが給食じゃない』という気持ちは揺らぎませんでした。私が目指す給食は何も特別なものではありません。ご飯を主食とした日本型食生活。日本人としてごく普通のものを普通に食べる給食です。

 ですが、自分が正しいと信じることをしようとしてもそれが通るとは限りません。保健師さんに「いそいじゃ駄目だよ。ゆっくりやらないと」とアドバイスを受けながら、保育士さんたちの反感を体中に受けながら三歩進んで二歩下がるといった具合に亀のような歩みを進めてきました。なぜ、こんなにも私の提案する給食が受け入れられないのか。理由はいくつかあるのだと思います。

 まず、保育士さんにとって一番うれしい給食は子どもが「やったー!」と言いながら喜んで食べ、手がかからず、短時間で食べ終わる給食だということです。つまり、お子様ランチです。子どもがメニューを見た途端「やったー」という給食は、子どもが釣れる給食です。「今日の給食は○○だから、××をがんばってやろうね」「明日の給食は△△だから、がんばって保育園に来ようね。」・・・私の献立では子どもは釣れません。「今日の給食は焼き魚だから、逆上がりがんばろうね」は魔法の言葉には成り得ないのです。そして、給食を喜んで短時間で食べてくれると、片付けも早く済み、そのままお昼寝の時間に突入。保育士さんが自分の時間をゆっくりとることができ定時に帰れるという訳です。つまり、私の立てる献立の内容で保育士さんの仕事が楽になったり大変になったりするのです。子どもの食を理解し志をもって食育に取り組んでいる保育士さんでなければ、自分の仕事が大変になる私の立てた献立を支持することはありません。(つづく) (『おむすび87号』より)

 

 

 

第3回 「汗かきべそかき 歩こうよ

 

 もうひとつの理由は、保育士さん達が子どもの食を学んでいないということです。食育基本法が施工され第5条に、「子どもの教育、保育等を行う者にあっては、教育、保育等における食育の重要性を十分自覚し、積極的に子どもの食育の推進に関する活動に取り組むこととなるよう、行われなければならない」と保育士さんの立場はきちんと法律に定められています。ですが、食育基本法をきちんと呼んだことのある保育士さんはほとんどいないのではないかと思います。法律に則って仕事をしているはずの公務員にも関わらずです。もう7,8年前になります。郡の保育協会で食育に取り組ことになったため、どのように進めていくかという会議に栄養士さんも出席してほしいと言われたことがありました。私はその会議の席で、「子どもたちに食育をする前に保育士さんたちが食を学ぶ機会を作ってはいかがでしょうか?」と提案をさせていただきました。なぜ食育基本法ができたのか?国はこの法律で何をどうしたいのか?今の子どもたちの食の何が問題なのか?そういうことをきちんと学んだ上でないと正しい食育はできないと思ったからです。ですが、私のその提案に元校長先生という保育士さんたちの指導係になっている先生は「そんなのは必要ない。箸の持ち方ひとつ教えればそれが食育なんだからそれでいいんだよ。」と取り合おうともしませんでした。もちろん保育士さんたちも異論なし。とりあえずの食育が行われているのは言うまでもありません。保育園で私に求められている食育は赤、黄、緑の三色の栄養の働きを教え、好き嫌いなく食べることを教えることです。子ども達が好き嫌いなく食べてくれると保育士さんの仕事は楽になり、「うちのクラスの子は何でも良く食べていい子達だわ~」ということになります。きちんと子どもの食を学んでいたら、なぜ子ども達が緑の野菜を苦手とするのか、なぜ砂糖や油脂の多いものを喜んで食べるのかを理解した上で食育に取り組めるのですが、先生たちは自分の中の常識とテレビや他の園からの情報で食育を行っているのが現状です。

 クラスの中では、野菜とにらめっこしている子どもの向かいに座り「強くなりたいなら食べなきゃ駄目でしょ!」と口に押し込む光景が未だにあります。「あそこの保育園ではおやつにフライドポテトが出るんだって、うちの園でもお願い。」「今度のお誕生日会のおやつはハーゲンダッツがいいな」これは園児ではなく、食育を行う立場にある保育士さんからの言葉です。

 そもそも食というのは特別なものではなく、日々の暮らしの中で誰もが繰り返していることです。だからこそ、人それぞれの中に自分の中の常識が存在し、みんなそれが世間の常識だと思って疑いません。子どもの食を正しく学び理論に沿った食育ができれば、子どもを主体とした食育ができたら、どんなに意義があることでしょうか。ですが、園という体質上多い意見が正しい意見になり、そこに他の園の勉強していない栄養士の意見や献立が更に高い壁を作ります。「この保育園に栄養士はいらない」「信念を曲げ保育士さんの望む給食を出したらどんなに楽だろう」何度そう思ったことでしょう。でも、曲がったことが大嫌いな性格の私にはそれがどうしてもできません。食育は「日本人としてどう何を食べるか」を教え、体に染み込ませる教育なのだと私は思います。日本の食文化のすばらしさは、日本人らしい食べ方、食べ物とは・・・。毎日の家庭の食卓で、保育園や学校の給食で、子どもたちは体で、心で覚えていきます。そしてそれが一生の健康を左右します。「日本人として、どう何を食べるか」は「日本人としてどう生きるか」に通じるのではないでしょうか。私達の祖先が健康長寿日本を作り上げたように、私達の食べ方が子ども達の食べ方がこれからの日本をつくっていく。行政栄養士としてそんな風に考えながら、僅かずつですが自分の考えを献立に反映させ、ため息をつきながら保育士さんの意見を取り入れ、保護者の皆さんや子どもたちに自分の力の無さを心の中で謝りながら、三歩進んで二歩下がる、そんな歩みを今日も続けています。

(おわり) (『おむすび通信88号』より)

 

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