学校給食は必ず変えられる
「19年目の給食-闘う教師-」
第1回「闘いの始まり」 遠州 米子
私たちの学校、その現状
9月某日。今日の献立は子どもたちに人気のキムチご飯、中華スープ、春巻き。やや脂質が高い気がするが、主食がご飯なのでよしとしよう。と、思った矢先に目に入ったデザート。大手食品会社が販売するフルーツ風味のソースが入ったバニラアイスであった。給食のデザートとしてアイスはいかがなものかと思い、学校長に訴えるも、「大人も好きで食べるからいいのではないか」という返答であった。「大人も好き」というところに現在の日本が抱える健康問題の原因があり、学校給食という教育の場においてこういった食べ物を提供するのは間違っている。しかし、それ以上は口にできなかった。なぜなら、学校給食についてはこれまでも何度となく述べてきており、何を言っても「またか」と思われるばかりなのだから―。
私、夫の勤務する学校は、共に静岡県の西部に位置する。大きな市であるため、都市部、山間部とで家庭状況や特色に差があり、当市はこういった状況であると一括りにするのは難しい。学校給食に関しては、完全自校式、半自校式(おかずは自校で調理。ご飯のみ委託)、センター方式、という三つの方式が採られており、各方式によって若干の違いはあるものの、一週間の主食の状況としてはご飯が概ね3.0回、パンが1.5回、麺が0.5回となっている。私自身は現在育児休暇中であるために現状が報告しにくいのだが、上記のやり取りが行われた夫の勤務校は完全自校式で提供されている。中心部から離れた場所にあり、農業を生業とし、祖父母と同居する家庭が大半である。家庭での食生活の影響か、クラスの児童に「給食のご飯(白米)とパン(菓子パンではなく、食パン)どちらが好きか」と尋ねたところ、パンがいいと答えたのはわずか一名であった。その理由は、「パンのときはおかずがまずい。変わった味でたくさんは食べられない。」というものだった。確かに、ご飯のときは全体的に残菜が少ない。それはこの学校だけではない。今までに勤務した学校でもそうであった。健康問題という面だけではなく、子どもたちの嗜好としてもご飯給食の方が好まれているのにも関わらず、ご飯の回数、パンの回数は変わらない。
切られた火蓋
学校給食の完全米飯化について考えるようになったのは、私が8年前、夫が15年前である。15年前、夫はある中学校のクラス担任であり、パンを残す生徒の多さに頭を悩ませていた。現在の給食指導では、昔のように昼休みや掃除の時間にかかってまで完食させることはしない。かといって、あまりにも残菜が多いのもいいことではない。そこで同僚に相談してみたところ、「パンの日はできるだけジャムやマーガリンを付けてもらうよう、栄養士に伝えてある」との回答があった。しかし、給食費の問題があり、毎回というわけにはいかないようだ。そんな状況の中で打開策を考えていったところ、「そもそもパンを出さなければいいのではないか」と思うに至った。
生徒の様子を見たり、自分なりに調べたりしていく中で、完全米飯化を支持する根拠としたのは以下の点だ。
① 健康問題…年々増加している生活習慣病の原因は、主に糖質と脂質の摂りすぎである。ご飯は米と水のみでできあがるが、パンには油脂類と糖類が添加される。そのうえ、マーガリンやジャムを塗ったり、おかずに揚げ物やサラダが付いたりするために、さらに糖質と脂質が増えてしまう。
② 生徒の嗜好の問題…主食の減りはもちろんのこと、主菜、副菜の残りもご飯主食のときの方が少ない。和食ベースのおかずはなじみのあるものが多いが、洋食のときは栄養士も自宅で作らないような変わったものになっている。和食が健康上、洋食よりも劣るのならまだ理解を示せるが、そうではないのになぜ生徒にわざわざおいしくもない洋食を押しつけるのか。
③ 安全性の問題…パンは輸入した小麦粉で作られるため、ポストハーベストや遺伝子組み換えが心配される。また、加工食品であるため、食品添加物も使用されている。
④ 農業の問題…一人当たりの米の消費量が減り、在庫がたまっている状況。消費量が増え、米価が上がらなければ離農が進む。また、ご飯に合うおかずのときの方が、比較的食糧自給率の高い食材が多いように思われる。私立の学校ならともかく、公立であるのだから国のためになるような給食にすべきだ。
この根拠をもとに、学校長や栄養士と話し合いがなされるのだが…。結果については、第二回で詳しく述べることとする。
プロフィール
大学卒業後、H16より公立小学校教諭として勤務。H19より中学校教諭。現在育児休暇中であり、三児の母親。
第2回「母乳は人生で初めて食べる食事
「残菜を減らしたい」という思いから始まった、学校給食の完全米飯化に向けての取り組み。まずは、当時の勤務校での子どもたちの様子から、「パンを廃止してご飯にしてほしい」という意見を子ども議会で提案することにした。しかし、それに対する答弁書には「子どもたちには多様な食生活を経験させたいため、パンを廃止することはできない」と記されていた。ほとんどの家庭でパンや麺を常食しているのに、なぜ給食で米飯以外の主食を出す必要があるのか、経験させたいという理由だけなのならば、週に2回ではなく月に1、2回で十分ではないだろうか等、多くの疑問が湧く。そこで、後日、その回答をした栄養士と直接話をしたのだが、「パンよりも米飯はコストがかかるためというのが実際のところだが、それを子どもたちに聞かせるのは教育上問題があるので、あのような回答になった」と言われた。若く、不勉強だった当時、反論することもなく「それが実際の理由なのか…」と落胆するばかりであった。
その後、人事異動があったのだが、転任先の学校では前任校と給食の提供方式は異なるものの、給食の残菜の出方には「パン給食時は残菜が多い」という同様の傾向が見られた。そのため、完全米飯給食への思いは消えることはなかったのだが、給食とは離れた場面で、自分が考えている以上に子どもたちの食生活は危機にさらされているのではないか、と考えさせられる事態に直面した。
小学校6年生の修学旅行の引率指導でのことだ。一日目の夕食、二日目の朝食はホテルでバイキング形式の食事だったのだが、子どもたちの皿の上に並んだのは、スパゲッティ、フライドポテト、唐揚げ、ジュース…と、砂糖と油にまみれたものばかりであった。ケーキが主食と化している子もいる。ご飯に汁物、おかずという当たり前の組み合わせが並んでいる子どもはほとんど見受けられない。二食とも、だ。もちろん修学旅行という非日常的な状況であったことが大きな要因であるとは理解しているが、「食事」とはあまりにもかけ離れた状況に唖然とした。その頃、幕内先生の著書に出合い、給食を完全米飯化することがこのような状態にある子どもたちを救うに違いない、と使命感をもつに至った。
そこで、次年度の教育課程編成会議の中で、米飯給食の日を増やしたらどうかと提案した。また、学校長や学校栄養士に、完全米飯給食の必要性を訴えた。しかしながら、結果は全て否定的なものであった。学校栄養士には「給食の献立は栄養価のバランスを考慮して作っている」「子どもたちに多様な食生活を経験してほしい」「価格の問題がある」と言われた。そして、学校長には「言いたいことはわかるが、当市の給食は統一献立にしている学校が多いため、一校長の自分に決定権はない。自分の校長生命をかけてまで取り組むべき問題だとは思えない」と…。
給食を食べている児童・生徒を実際に目にする担任教師はどうか。正直言って、「献立について考えたことがない」というのが教師の大半だろう。給食を食べながら宿題の点検をしたり、子どもを指導したりしているがために、味わう余裕などない。担任が思う良い給食とは、単に「残菜が少ない給食」だ。残菜を減らすのは担任の仕事だが、献立を考えるのは栄養士の仕事だと認識しているからだ。だから、パンにマーガリンやジャムをつけ、野菜にドレッシングをかけることを歓迎する。男性教師には、パン給食はやめてほしいと思っている者もいるが、「栄養士が考えて作っているバランスのとれた献立なのだから」と、口を出すことはない。確かに栄養士は頑張っていると思う。前提となっている「バランス」の認識自体が間違っているということに気付けていないだけなのだ。
食生活による問題はすぐには表面化してこない。十分に砂糖と油に慣らされた後に発症する問題。けれど、担任も学校長も栄養士も、教育現場に身をおく誰もが、その問題を深刻視することなく過ぎてゆく。(つづく)
第3回「暗中模索の日々」
助産師からみた学校給食
同僚、学校長、学校栄養士に訴えても何も変わらないということを痛感した私は、一人の市議会議員に会いに行った。実は数年前、わが市では市議会において学校給食の完全米飯化が提案されたことがあるのだ。その市議会議員の主張は次の通りである。
・現在の学校給食における米の使用量は一日あたり約6トン。完全和食にするとこれが倍になる
・パンの原料の麦は海外からの輸入によるものなので農薬が心配
・長野県上田市の学校では、完全和食の給食にしたところ
1、キレる児童生徒の減少
2、貧血で倒れる児童生徒の減少
3、中世脂肪過多の児童生徒の減少 が確認された
・学校給食一食の中では栄養バランスがとれているのかもしれないが、朝食や夕食で洋食を食べている家庭が多いのに「ご飯もパンも、魚も肉もバランスよく」というのは一日の食事という観点で考えた場合、本当にバランスがとれているといえるのか
・三食ともに和食になったとしても、日本人として生物学上問題ない
私にとってはどれも納得のいく主張なのだが、残念ながらこの提案は却下されてしまった。その理由は子ども議会での提案時同様、金銭的な問題であった。市内でもっともポピュラーとされている給食の提供方法は、ご飯が委託で行われている。このご飯に問題があり、一食ごとアルミパックに入れてオーブンで炊くという方法をとっているためにパック代等がかかり、一食あたり、米では69円、パンは52円、麺は39円とコストに大きな差が生まれてしまうのだ。では、大きな釜を導入してはどうかというと、あまりにも大きな市になってしまったがために、各校に釜や設備を設置できるほどの予算がないという。
教育長にこう言われたものの、彼もまた完全米飯化の夢はあきらめていないそうだ。しかしながら、教育長、もしくは市長が完全米飯化の重要性を理解しない限り、実現することは難しいという結論に至った。
さて、数年前、私は子どもを身ごもった。満足のいく出産をと思い、自然分娩に定評のある岡崎市にある医院で健診を受けたのだが、そこで指導されたのは「元気な赤ちゃんを産むためにはゴロゴロぱくぱくビクビクしない」ということだった。食事に関して具体的には、和食の粗食、幕内先生の「粗食のすすめ」を読むといいと言われた。自分なりに実践していこうと思ったものの、大きな壁となったのが給食であった。給食では毎日牛乳が出る。パン、麺も週に二回だ。揚げ物も多い。わが子のためには給食は食べず、弁当にしたほうがよい。しかしながら、給食を食べている生徒たちの手前、「お腹の中の赤ちゃんに悪いから食べない」とは言えず、不安を抱えながら給食を口にした。
そんな中で気が付いたことなのだが、教員は給食を毎日食べる。多くの人たちが小中学校の九年間という期間で終える給食を、私たちはその何倍もの時間、何倍もの量を食べるのだ。三食のうち二食は真っ当な食事を、という良識をもった教員はいいが、給食にすっかり慣らされて味覚も思考も麻痺してしまった教員はどうだろうか。給食は、栄養士が育ちざかりの子どもたちのためを思って脂質を増やし、糖質で食べやすくしていることを忘れてはいけない。元学校教師の死亡理由の統計をとったら、興味深い発見があるかもしれない。
静岡県では、4月から給食用のパンを国産小麦100%に切り替えるそうだ。今まではカナダ・アメリカ産の小麦を80%使用していたというので、かなりのコストアップになると思われる。そこには何らかの補助金がどこからか支給されているのであろうが、そんなことのためにお金を使うのならば、各校に釜を設置し、完全米飯化した方が何倍も利口というものだ。
現勤務校の全学年で朝食調査を行った結果、平日の朝食はご飯が46%、パンが50%、その他が4%であった。休日はご飯39%、パン53%、その他8%となった。第一回で述べたが、勤務校は祖父母との同居率が高く、家庭の状況は落ち着いている。その学校でこの結果なのだ。都市部ではパンや麺主食の家庭が絶対多数を占めることは容易に想像できるだろう。こうした状況の中で、海外産だろうと国産だろうと給食でパンを食べることの理由は見つからない。
一教員が学校給食完全米飯化を進めようと思っても、容易には運ばないことは身をもって実感したが、まかぬ種は生えぬの精神で、少しずつでも賛同者が増えるよう声を出し続けていきたいと思う。(おわり)