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学校給食の裏面史

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.11」(前編)     

                   鈴木猛夫

 

   昭和20年代後半から30年代にかけて、厚生省は日本人の食生活を「改善」する必要があると判断し、大規模な栄養改善運動を行なった。戦後日本人の食生活は世界に類をみない早さで短期間に欧米化したが、その原因はこの改善運動に起因している。
  何をどう改善する必要があったのだろうか。当時この運動を先頭に立って強力に推し進めた厚生省栄養課長の大磯氏の食哲学にその鍵があり、それについては 2回続けて書いてきたが、今回も氏の著書「栄養随想」からその一端を探りたい。
  氏はその中で「この人達(東南アジアの10数億の米食民族・前号参照)は、あまりにも米中心の食生活のため、そこから必然的に生まれてくる栄養欠陥を身につけて、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い。その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない」
  米食が必然的に栄養欠陥を生じ短命で、乳幼児の死亡率が高く結核やトラホーム、胃弱の原因であるとは思えない。欧米ではアジアには少ない、いわゆる欧米型の病気であるガン、心臓病、糖尿病等が多いし、米食民族が精神的に弱いとするのはいかがなものか。先の 2回の連載から判断しても氏は、欧米人は体力、精神力、さらには文化などあらゆる面で先進的、進歩的であるという思い込みがあり、あまりに欧米崇拝的な傾向が強いようにみえる。
  氏はさらに「こうした民族的な性質と運命は、決して先天的に遺伝したものとは思われず、その食生活に大きな原因が潜んでいるのではないかとは、つねに、欧米人によって指摘されているところである」と書いている。 

 
  (おむすび通信No.11より抜粋)

 

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.11」(後編)     

                    鈴木猛夫
 

   永年その民族ごとの食習慣の違いが種々の文化の違いを生んできたことは確かだが、健康上の優劣をも作ったとする見解を氏が持っていて、それが米食と麦食の違いであり、米食民族より麦食民族のほうが優れていると氏が認識しているとすると、結局日本人は米を捨てて麦を食えと勧めたくなるのであろう。
  そしてさらに「私どもをはじめ、東南アジアの各民族、これはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、この米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない」
とまで言い切り、米よりも麦という栄養改善の必要性を強調している。
  さらに「従って出来得る限り米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的な工夫を身につけるよう心がけるべきだ」というのである。
  これが戦後の栄養改善運動を指導した立場の人の見解だとすると、戦後世界に類をみないほど急速に食生活が欧米化した理由がよく理解できる。日本人の食生活を何が何でも米から麦へと転換させたかったのである。改善運動の柱の一つは粉食奨励策で、日本にパン食を根付かせることでもあった。日本ではほとんど産出されないパン用小麦(強力粉)だけに、全量を輸入に頼らねば不可能という粉食奨励策は正しい運動の進め方であろうか。改善運動の結果、日本人は今欧米型の病気に苦しんでいる。
  大磯氏はこの点について現在どんな見解をお持ちなのか、戦後の食生活をデタラメにした責任者として、あの運動は誤りだったと深く反省し、パンより米が大事だったと表明すべきではないか。しっかりしたケジメがないとこれからの栄養学の「改善」はない。 

 
  (おむすび通信No.11より抜粋)

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