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学校給食の裏面史     

 

「アメリカ小麦戦略 No.5」(前編)      
 
   戦前、国民病とも言われた脚気の治療、研究を巡って主食論争という大きな論争があった。ビタミンB1を多く含む胚芽を取り去った白米では健康を保てないから、胚芽のついた胚芽米がいい、いや胚芽とある程度の糠の残った七分づき米がいいという、いわゆる胚芽米論争である。両陣営は感情的なまでの論争を繰り広げ、昭和14年法定米は七分づき米に決着した。日本の栄養学史に残る大論争であったがそのしこりは深く残った。
  ところが戦後は法定米が七分づき米から一転して白米になった。戦前まで主食の米のあり方をめぐって栄養学界を二分するほどの大論争があったというのに、何故こうもあっさり法定米は白米になったのか。
  戦後の食糧難時代に厚生省は栄養課を新設し初代課長に戦前からの胚芽米論者である有本邦太郎、課長補佐に七分づき米論者の大磯敏男を迎えた。つまり両陣営から一人づつ選んだのである。 こうなると法定米をどちらに決めても戦前の論争がぶり返され収拾がつかなくなることは容易に想像できる。このことも一因だったと思われるが、戦後の法定米はそれ以外の白米にせざるを得なかった。
  しかし戦前の主食論争は白米に問題ありという点では両陣営とも一致していたわけで、戦後になって白米を学校給食に供するには栄養学者の間に戸惑いがあったのではないだろうか。戦前までの米食偏重ではなくパンも取り入れるべきと考えたのではないだろうか。
  勿論前号までの説明のように学校給食の主食がパンになったのはアメリカの高度な小麦戦略が大きな原因だが、日本側の問題点としてはそういうことも考えられる。つまり戦前の主食論争の余波があったとも言える。  
  (おむすび通信No.5より抜粋)

 

「アメリカ小麦戦略 No.5」(後編)     

 

 米は「健康によくない」「ガンになる」「太る」などという誤った論調がマスコミをにぎわし、米に問題ありとの宣伝がパンメーカーなどから意図的に流されたりもした。国の内外から学校給食の主食はパンという力が働いたのである。主食がパンになると副食はミルク、バター、チーズ、肉類、油脂類等の欧米型食生活になりやすく、日本人の体質に合わず生活習慣病(成人病)の原因となる。
 戦後日本の栄養教育に大きな貢献をした香川栄養学園創立者の香川綾先生は、終戦直後の食糧難時代に学童達がミルク給食の結果、体位が著しく向上したのを目の当たりにしてミルクの効果を実感したという。それ以後熱心に牛乳普及に情熱を注いでこられた。しかし飢餓状態の時は何を食べても吸収が良く体位は向上するのが普通で、牛乳が総合的に考えて本当に体に良い飲み物かどうかは問題がある。
  牛乳の中にはエネルギーの基になる乳糖が含まれているが、これをうまく消化、吸収して体内に取り入れることができるかどうかが牛乳の良否を判断する時の大事な要素になるが、日本人は欧米人と違い乳糖分解酵素が少なく、うまく消化、吸収できないのだ。
  牛乳を飲むと下痢しやすいとか、アトピーなどのアレルギーを起しやすいというのは、明らかに牛乳に対する体の拒否反応である。牛乳を長く飲み続けてきたという歴史は日本にはなく、従って乳糖分解酵素は必要なかった。欧米流の栄養学を鵜呑みにしたパンとミルクという学校給食は生活習慣病予備軍を一生懸命作っている。

 
  (おむすび通信No.5より抜粋)

 

 

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