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学校給食の裏面史

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.9」(前編)     

                   鈴木猛夫
 


   戦後厚生省に栄養課が新設されその課長補佐となった大磯敏雄氏はGHQに献身的な協力をし全国民を飢餓から救うべく大きな努力をされた。その功績は高く評価されるべきであろう。氏は戦後の食糧難を乗り切ると次には栄養教育、栄養行政という点でも大きな足跡を残された。昭和28年、課長に昇進し以後約10年間、戦後の栄養行政を積極的に推進してきた氏の食哲学をみることで戦後の食生活改善運動の一端を探りたいと思う。
 戦後厚生省は粉食奨励の方針を掲げ、パン食を学校給食の主食として採用したが、大磯氏は小麦に関してどのような考えを持っていたのだろうか。その著書「栄養随想」(昭和34年、医歯薬出版)によると「米を食う人々の性格と麦を食う人々の性格は自ら異なるところがあって、前者の、在るから食うといった考え方に対し、後者は、食うから在るのだといった考えを持っている。これは共にその食べ物から来る考え方であって、前者が諦観的、消極的なのに反し、後者の方が進歩的、積極的ではなかろうか?」と書いている。氏はその理由として米は美味で容易に嗜好を満足させるので「米を食う民族が容易にその生活環境になれて、積極性を失うもととなるのではなかろうか?」逆に小麦は「それのみの食生活では決して美味でもなく、それ以上のものを欲し、小麦食以外のものをとることを要求して、嗜好し生産するといった積極的な意欲を働かせ、進取的に努力するといった方向に進むことが、結果において、小麦のみには満足しないで、更に異なった食べ物を欲するという傾向になってきている」「小麦粉それ自体を作るだけでも、米の精白に較べれば、確かに技術的にも困難があり、作った小麦粉をそのまま捏ねて食べたところで一向に美味しいものではない。
 

 
  (おむすび通信No.9より抜粋)
 

  

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.9」(後編)     

                   鈴木猛夫
 

   そこで何とかうまく食う工夫はないものか?牛乳や乳製品を副えたらどうか、肉を副食として食ったらどうか?野菜のスープと一緒に食べたら食べられぬものかといった工合に、大いに工夫して、今日の小麦中心の食生活文化が発達してきたものである」と記している。この見解には大いに疑問があるが、米食民族よりも欧米人のように麦を食べる粉食民族のほうが進歩的、積極的であるとの認識は更に問題がある。戦後の厚生省主導の粉食奨励策はアメリカ小麦戦略による影響が大きいが、この見解を読むと、たとえアメリカが意図しなくても日本側が自主的に粉食奨励を推進させたかったのではなかろうかと思えてくる。そのくらい氏の小麦食への評価は高い。この発想で食生活改善運動が進められたのなら問題だ。
  この本が出版された昭和34年頃は厚生省が日本人の食生活を米から麦へ、副食は肉、卵、油、牛乳、乳製品へという食生活改善運動にもっとも熱心だった時期であり、何としてでも米食よりも小麦粉食、洋食化を普及、徹底させたかったのである。
  氏の米、麦に対する見解は非常に重要であり次号でも詳しく取り上げたい。

 
  (おむすび通信No.9より抜粋)
 


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